「ともに輝き合う世界を」(園便りNO.2)

「春が来たんだ」の歌が、いろいろなクラスから聞こえてきます。この歌の最後は「春が来たんだ/わーいわい!」と歌います。手を空に向けて、まるで春をつかもうとする仕草が可愛いくてなりません。年長組の子どもたちは、年少組に行き、ジャンバーを着せてあげたり、おにぎりを食べる用意をしてあげたり、またその時にこの歌をうたってあげたりしては、年少児が何とか安心して過ごせるよう、子どもなりに心を尽くしている様子が見られます。泣きそうな子に「大丈夫だよ」と声をかけたり、帽子を忘れた子の名前を聞いて、その子の帽子を探してかぶせてあげたり、腰をかがめて手遊びしてあげたり、自分の空腹はさて置き、おにぎりを食べさせてあげたり、うまく表現できない子の心を見ようと必死な姿が見られます。年長児にとっては、「年少児のために」と、自分にできることを考えて、してあげている事なのですが、実は、年長児自身にとっても大きな学びがあるのです。それは、年少児からのほんの少しの見返りも当てにしていない、「愛そのもの」を表現できる場になっているということなのです。私はその姿に、「ともに過ごそう」「ともに生きよう」「ともに助け合おう」、そのようなメッセージが込められているように感じます。
私たち大人はどうでしょうか。「我が子のためにしていること」に、「こんなにしてあげているのに」とか、「ここまでやっても、こんなか」とか、「こんなにお金を使っても、期待外れ」とか、「せめて、みんなと一緒くらいに」など、子どもの成長に見返りを求めてはいないでしょうか?我が子と、「ともに生きよう」「ともに楽しもう」「ともに過ごしていきたい」と願うなら、私たち大人も、子どもたちのように、「愛そのもの」を我が子に差し出すことが必要だと、春の年長児の姿から気づかされます。
しかも、年長児の「愛」の示し方が、みんな違うのです。「ドバッ」の子も、「サラリ」の子も、「ユッタリ」の子も、「ノンビリ」の子もいます。教育の本質は、「一人一人が違うということ」と同時に、「一人一人が輝くこと」です。あれができる、これができないという次元を超えて、「一人一人の命が輝くこと」が大事なのです。私たちは、保護者の皆さんと、子ども同士が、保護者同士が、教師同士が、子どもと大人同士が「ともに輝き合う世界」を作り出していきたいと、この新しい春に、強く願っています。「互いの愛を熱く保ちなさい」(ペテロ第一4:8)と、聖書に示されています。子どもたちとともに、高く手を伸ばし、素敵な春をつかみましょう。

5月 行事予定

8日 わくわく広場開始
11日 母の日礼拝・後援会総会
31日 誕生会