自分の心を見つめる(園便りNO.16)

私はよく、「自分の心を見つめさせる」と言います。お母さんたちの中には、「子どもの心をどうやって見つめさせるのか」と思っておられる方がいらっしゃることでしょう。こひつじ幼稚園では、「自分はどう思うの?」という投げかけをそれぞれの学年の育ちを踏まえながら、問い続けます。そして、「大事なことは、自分が決めるのだ」と伝えます。自分の心に自分で問い、本当の気持ちを見つめ、その後の自分を、自分で決めるという経験をさせていくのです。

うまくいかない年長の三角関係。何をしても、いい気持ちで事が進まない。自分の本当の気持ちはどうなのか。他の二人の気持ちになってみたらどうなのか。そもそも三人で何をしたかったのか。三人でいる意味はあるのか。それらの問いを、静かに考えてもらうのです。そして、小さく決断し、自分で決めた様に、自信をもって前に進んでいきます。教師は、少し離れて、必ず見守り、支えます。

大人は、事がうまくいくように、もめないように楽しい事をぶら下げて、仲良く遊べることを望みがちです。それは、大人がしてはいけない援助です。どうしたら、友だちと楽しく遊べるのか、この仲間とやりたい遊びを達成させるために自分は、どうしたらいいのかを考え、自分の何が足りないのか、自分なりの答えを見つけることが「学び」なのです。幼稚園は、自分の心を見つめさせることで、自分を知り、方法を見つけ、自分で決めて進める自由な場所なのです。たとえ、自分が決めたことが失敗でも、また考え直して答えを見つけられたら、それでいいのです。ですから、こひつじ幼稚園の子どもたちは、日頃の遊びでも、行事に向かう活動でも、きらきら、のびのびしています。尻込みしないのは、「失敗は成功の元だ」と、いつも言い合っているからでしょう。

少し前のことになりますが、今年の節分は、例年とは少し違う子どもたちの様子がありました。節分は、自分の弱い所をじっ」くり考えさせ、どうなることがいいのかを考えてみる良い機会です。この時期の聖句は、「私の内に、新しい正しい心をお与えください」です。年長児の中には、これまでの自分がどんな自分であったかを振り返り、自分の心を見つめているうちに、苦しくなる子がいます。ポツン、ポツンと自分の弱さを告白する子もいます。弱い自分の心を新しい正しい心にする必要を考えさせていきます。そうしているうちに、怖い鬼の顔が書かれている紙袋を被った鬼が現れました。泣き出す子もいます。隠れて出てこない子もいます。ホールでは、大豆を炒っている香ばしい香りがしています。突然、自分から鬼の前に、神妙な顔をして現れた子がいました。鬼の前で、「お母さんや、友だちや兄弟にも、ひどいことを言っちゃった」と、おいおい泣くのです。鬼は、「そんな汚い心なら食ってやる」とか、「お前を山へ連れていく」とか、怖い言葉を連発します。その子は、「こんな自分は嫌だ」と言い出し、「心入れ替える」と誓うのですが、ふと気が付くと、その子の後ろに子どもたちが一列に並び、順番を待っているではありませんか。鬼は同じ所に立ちんぼのままです。次から次へと、子どもたちが告白してくるのです。ドアの横で、鬼と友だちのやり取りを泣きながら見ていた子がいました。その子が、列が空いた頃、さっと鬼の前に立ち、「あたしは、あたしは、友だちに意地悪しちゃう悪い心をもっているのー。ア~ン」と大泣きしながら、これまでいつもそうであったこと、ついついやっちゃうこと、以前先生に叱られたのに、直っていなかったことの大告白です。嗚咽しながら、「私、新しくなるから、もう本当の自分になるから、山には連れて行かないで」と頼むのです。その後は、次々と子どもたちの大告白大会になってきました。どの子も、自分がどうなったらいいのか、答えをもっているのです。じっと聞いていた鬼も、近くにいた教師も、まっすぐに自分の心を見つめられる子どもの純真さに、涙なしには聞いておられませんでした。

こういう経験を経て、子どもの心はふっくらになり、自分の心をコントロールする力を身につけていきます。私は、幼児期を過ごす過程で、今の自分に足りないものや、自分の心の中を見つめ、どのような自分になりたいのかを考えられる経験こそが、その後の自分を大きく変えていくと思っています。何より、鬼の正体を誰しも分かった上で、告白せざるを得ない気持ちをもてる幼児って、美しいとは思いませんか?

こひつじ幼稚園は、めちゃくちゃ遊び、うまくいかない事もたくさん経験でき、自分の心を見つめ、自分なりの答えを見つけることができる「場所」なのです。

 

今年度「最後の園便り」となりました。拙文にもかかわらず、時に感想を、時に内容にまつわるお話をして下さった方々がおられました。読んでいて下さる方があることを嬉しく思いました。ありがとうございました。