「本当の幸せな時間」を (園便りNO.5)

on 7月 19日, 2019

 私は今年度、初めて学級をもたない教師になりました。これまで夢中で子どもたちと遊びを展開してきた私にとって、想像のつかない自分がいました。でも、毎年感じるように「もう、一学期が終わってしまう」と思うほど、ぎりぎりまで子どもと過ごす、忙しい時間を味わいました。朝、お家の人との登園の様子を見て、子どもたちと挨拶を交わすことができる時間も、いい時間でした。自分と葛藤しながらも、友だちと学び合いながら育っていく子どもたちの姿を、少し引き気味で見ながら、時にはゆったりと、時には厳しく寄り添い、学級に戻していくという繰り返しの中、今まで味わったことのない思いをかみしめていました。それは、自分が学級担任をしていながら感じていた「幸せな時間」以上に、「幸せな時間」であったということに気づいたのです。お母さんたちから、よく聞く「私もこの幼稚園だったらよかった」「こひつじの子になりたい」という思いが分かったような気がしました。良く食べ、よく遊び、よく歌い、よく身体を動かし、よく相談をし、予想を超えた遊びが展開され、よくチャレンジし、仲間を知り、相手の思いを知り、大きい子は小さい子の世話をし、小さい子はもっと小さい子の世話をしてみたくなり、助け合い、励まし合い、支え合い、喜び合い、一つ一つ自分のやり方で乗り越えてきたのでした。これらの日々のことが、子どもにとって「本当の幸せな時間なのだ」と思いました。
6月の初め、Messengerに、記憶にない男性から、連絡が入りました。ドキドキして開いてみましたら、25年くらい前、神奈川県の小学校に数年勤務したことがあり、その時の小学6年生の教え子からの連絡でした。「僕だよ。ようちゃんだよ。夢に先生が出てきて、気になって、フェイスブックで、やっとたどり着いたよ。僕、41歳です。ウイルスメールじゃないからね」と。半端ないドキドキ感です。メールのやり取りの中で、学校で何度も繰り返し読んだ絵本のことや、その時々に話した言葉など、細かいことまでよく覚えていて、たくさんの写真まで送ってくれて、懐かしい思い出を綴り合えたことでした。私は、小学校生活最後の6年生に、ハチャメチャな授業をたくさんしました。国語の授業は、子どもが教師になりました。算数は、算数クイズ大会で盛り上がりました。理科は、ほとんど実験をしました。道徳は、自分の研究したい事を追求する時間にしました。いつも子どもの生き生きとした声が響いていました。ようちゃんは少し、シャイな子でした。にきびの顔で、少しけだるそうにし、多くは語らないけれど、大事な時に「先生、本当にいいのか」と聞くのでした。私は、忘れかけていた小学校の教師時代の思い出が次々と思い出され、あの頃も、なんて「幸せな時間」だったのだろうと、つくづく思ったことでした。ようちゃんも、同じように「幸せの時間」を大事にしてくれていたからこそ、探し出してくれたのだと思うのです。ようちゃんは、大きな会社で働き、小2、年長、年少の3人娘のお父さんにもなっていました。
私の年表を振り返ってみても、いつも「幸せな時間」が用意された人生ではありませんでした。いつも「いい時間」が用意されていたわけではありません。でも、「幸せだと思える時間」に出会えたなら、とことんその時間を楽しむことは無駄ではありません。むしろ楽しみきる、学びきる、生き切ることだと思います。ようちゃんは、最後にこう綴ってくれました。「先生、僕、ものすごいエネルギーになったよ。ありがとう。ところで先生いくつになったの?」「子どもたちには、28歳と言ってるよ。秘密にしておいてね」「28なら、まだまだ働けるね。がんばれ!」

子どもたちの一学期が、これからの「幸せな時間」のエネルギーになっていってほしい、と願っています。この一学期、「幸せな時間」にご協力いただきました保護者の皆様に、教師一同お礼申し上げます。夏休みは、「幸せな時間」をお過ごしください。