与えられた時を大切に(NO.4)

コロナ感染は、落ち着くどころか、広がりを見せています。連日のニュースも、もう聞きたくない気持ちにさえなります。それでも、私たちは何とか安全が守られ、1学期を終えることができました。再開した頃は、保護者の皆さまも私たち教師も、子どもたちも、みんな不安でした。でも、みんなで何とか前を向こうと、明るく努めていました。教師たちは、教育計画を立て直し、子どもの心がほぐれていくことができるよう、幼稚園の空気を大切に考えました。6月が終わり、やっと本来の子どもたちになってきた感じでした。
年長組の教師は、友だちと思いやイメージを伝え合い、目的を達成することを楽しむ中で、ぶつかり合ったり、友だちの思いとすり合わせたりすることを経験させようと心がけました。
年中組の教師は、友だちと同じ雰囲気やつながりを感じさせながら、友だちと共に居る楽しさや、心地よさを感じ、自分の気持ちを言葉にしたり、友だちの気持ちにも気づいたりしていかれるような経験をさせたいと願っていました。
年少組の教師は、喜怒哀楽を素直に表現ができるように心を解放させ、興味をもった遊びを楽しみつつ、教師や友だちと関わり、いろいろな思い(特に、自分の思い通りにならないこと)を経験させたいと計画しました。
満3歳は、行きたい場所へ行き、興味をもった遊びを十分に楽しむことを大切にしていきました。一方では、教師とスキンシップを十分にもち、安心して過ごせるように心がけました。いろいろな教師や友だちへと関わりがゆっくりと広がってきたところです。
そして、どの学年も、戸外でのびのびと体を動かし、虫や草花に目を広げ、畑の世話などを通し、植物の変化を楽しみ、命と向き合えるようにしていきました。コロナウイルスに気をつけながら、収穫したキュウリを味わい、種に気がつき、命のつながりを実感した子も多くありました。
ところで、5月に実現できなかった「母の日礼拝」は、一番自分に近いお母さんの働きやお母さんの心を学ぶチャンスでした。命について学ぶ上では、欠かせない事と考えました。そこで各学級で、出産前のお母さんを学級にお招きし、お話をお聞きしたり、絵本や写真を見たりして、自分の生まれてきた様子を確認し、命の始まりの不思議さを共有しました。お母さんと愛でつながっていることを、「嬉しいだけではなく、ありがとうの気持ち」と表現した子がいました。母の日は、単にお母さんに感謝するというばかりではなく、お母さんをくださった神様にも感謝する日です。子どもたちは、命をくださった神様を感じ、感謝する日々の中で、お母さんから愛をもらうばかりではなく、愛をあげたいという思いが生まれ、プレゼントを作りました。お母さんが心から喜んでくださっている姿を目の当たりにし、子どもたちはどんなに嬉しかったことでしょう。自分は本当に愛されているということを実感できたはずです。
この1学期は、教師たちが、子どもたちのことを考え、日々打合せを繰り返し、一丸となって邁進した教育時間でした。ご理解とご協力をありがとうございます。

かつての教え子の洋ちゃん(2019.7.18の「園便り」の洋ちゃんです)からメールがきました。

「大きなことを成し遂げるために強さを与えてほしいと神に求めたのに、謙遜を学ぶようにと弱さを授かった。 
偉大な事ができるようにと健康を求めたのに、より良きことをするようにと病気を賜った。
幸せになろうとして富を求めたのに、賢明であるようにと貧困を授かった。
世の人々の称賛を得ようとして成功を求めたのに、得意にならないようにと失敗を授かった。
人生を楽しむためにあらゆるものを求めたのに、あらゆるものを楽しむために人生を授かった。
求めたいものはひとつとして与えられなかったが、願いは全て聞き届けられた。
神の意に添わないものであるにもかかわらず、心の中の言い表せないものは全て叶えられた。
私は、最も豊かに祝福されていたのだ」

私たちは、今まで経験したことのない窮屈な厳しい出来事の中に生きています。どうしてこんなウイルスが発生したのか、いつまで我慢をするのかと、苛立ちます。しかし、今こそ謙遜の心で、与えられた人生を大切に生きましょう。せっかく、こひつじ幼稚園で出会った仲間として、助け合い、励まし合い、楽しみ合って過ごしましょう。