子どもの好奇心を満足させる存在に(NO.11)

子どもたちが、自分らしさを発揮させて生活している姿、相手の思いを感じつつ過ごそうとしている姿は、愛に満ちていて、「よく育ったな」と、清々しささえ感じます。一方で、どうしたら大好きな友だちと遊べるのか、どうしたら思いが伝わるのか、どうしてこんな意地悪をしてしまったのだろうと、自問自答している姿に出会うのも、「自分の心を見つめようとすることができるようになってきたのだ」と、その成長を嬉しく思うのです。たくさんの遊びを通して、いろいろな友だちとかかわり方や遊び込む楽しさをもっと学んでほしいと願っています。加えてあらゆることに好奇心を抱き、様々な知恵を身に付けていってほしい、と強く願います。
ふり返れば、今の自分の基礎が形成されたのは、幼児期から小学校低学年だったのではないかと思うのです。私は、近所の家も、勝手知ったる我が家みたいに、お邪魔しました。大人みたいに、「こんにちは、お邪魔します」というのが、挨拶でした。周りには、農家が近くにあって、いろいろな野菜を育てているのを見ることができました。小梶さんのおじさんに、野菜の育て方や、種の話をたくさん聞きました。おじさんは、大事そうに種を見て言いました、「種はすごいよ。ちゃんと自分の生まれる季節や気温や好きな場所を知っているんだよ」と。米農家や、手延べそうめんを製造している家もありました。直ちゃんが、「家に寄ってよ」と言ってくれたので、初めて家に上がったら、2階で、おじさんとおばさんが、部屋いっぱいにそうめんを延ばしていました。初めて見た美しい光景に、ランドセルを放り出し、見入ってしまいました。おばさんは、「『優しく、ありがとうねーっ』と言いながら、静かに延ばすのよ」と言いました。おじさんは、「食べ物はみんな『ありがとう』だよ」と言いました。食べる時は、「ありがとう」って思うようになりました。次の日も、その次の日も、直ちゃんと、直ちゃんの家に帰りました。そして、直ちゃんと遊ぶのではなく、そうめん作りのお手伝いを楽しみました。直ちゃんは、「そんなに、そうめん好きなの?」と、不満気な顔をしていました。私は、そうめんが大好きです。お土産にいただいたそうめんを、自分が作ったかのように、家族に説明しました。美味しくいただき、家族みんなで、「ありがとう」と言いました。父は、「寄り道しないで帰りなさい」と、一言だけ言いました。清野さんのおばあちゃんは、今頃編み物をしているはずと、大人みたいに、「こんにちは、お邪魔します」と家に上がると、おばあちゃんの目はテレビを見ているのに、なぜか手は動き、編み物が進んでいるのです。私は、おばあちゃんの代わりに、編み目を落とさないよう、しっかり見ててあげました。おばあちゃんの手元と顔を繰り返し見ているうちに、「年をとると、こんなにシワシワの手になるんだ。鼻毛もこんなに伸びるんだ」と思いました。おばあちゃんはニッコリ笑って、「ばあちゃんは80だ!たくさん生きたら、シワクチャになるんだ。そうなる前に、好きなことを見つけなさい」と言いました。私は、「歳をとったら、他人の思っていることが分かるんだ」と思いました。家族に、清野さんのおばあちゃんの話をしました。母は、「おばあちゃんの手は『魔法の手』だね」と言いました。父は、「寄り道しないで帰りなさい」と、一言だけ言いました。その夜、怖い夢を見ました。魔法使いの清野さんが現われ、シワシワの顔で笑ってて、鼻毛をフワフワさせている夢でした。次の日、清野さんの所へ行って、「魔法の手」について聞いてみました。「ばあちゃんが編んでいるものを、もらった人が『嬉しい』と思ってくれたなら、その時に初めて、『魔法の手』だって言えるんだよ」と教えてくれました。おばあちゃんが亡くなる少し前に、私に毛糸のパンツが届きました。おばあちゃんの手は『魔法の手』だっていうことが、心底分かりました。髙野さんは、木目込み人形作りに夢中でした。小刀を上手に使いこなし、切込みをしていきます。憧れました。私は、何度も「危ないから、手を出さないように」と注意を受けました。「いつか、小刀を使いこなす人になりたい」と思いました。2年生の時、隣のボイラー屋さんのお兄さんから、小刀を借りて、木の人形を作ってみました。手は傷だらけで、満足なことはできませんでした。お風呂に入ると、傷が痛くて、まだまだ髙野おばあちゃんにはなれないと思い、自分にがっかりしました。家族には、この事は話しませんでしたし、傷が治るまで、髙野さんの家には行きませんでした。旭さんのおばさんの庭に行くと、大ざるに山ほど、赤い葉っぱを干していました。私は、年寄りが世間話をするのを聞くのが好きでした。話をしていると、強い陽射しで、葉っぱは、どんどんシワシワになっていきました。母が、「素敵な葉っぱだ」と言って、本に挟んだ「葉っぱの話」を急いでしました。これ以上シワシワになっては困ると思ったからです。旭おばあちゃんはワハワハ笑って、「わざとシワシワにして、じいちゃんの好きな『シソのふりかけ』を作るんだよ」と教えてくれました。たくさんの質問を浴びせ、作り方を教わりました。家でも、教えてもらった通りに作ってみました。世間話から、全てが始まるのです。家に帰って、おばあちゃんが話してくれた戦争の話を、あたかも見たかのように、色を付けて語りました。そして、「ふりかけ」ができました。母は、「戦争の話は、迫力があった」と言いながら、ご飯にかけて、「美味しいね」と言ってくれました。更に、父が、「おにぎりにしてほしい」と母に言っているのを聞いて、嬉しくなりました。文ちゃんのおばあちゃんの家に行った時、ご飯をすりこ木で潰し、のし棒で平らにして、焼いていました。「すりこ木」と「のし棒」の違いも教えてもらいました。醤油の香ばしい匂いが忘れられません。おばあちゃんは着物を着ていて、正座して、真剣な顔で話し始めました。「大人になっても覚えておきなさい。ご飯は、のせば煎餅になり、丸めればぼた餅になり、握ればおにぎり、溶かせば糊だよ。お米を大事にしなさい」と。母が手紙に切手を貼る時、米粒をつぶしていたのを思い出しました。その後、この事を生かせる出来事に遭遇しました。文ちゃんが、担任の先生が大事そうなものを入れる立派な木の箱を落としてしまい、蓋が割れてしまったのです。文ちゃんは、「先生に叱られる」と言って、ワンワンと泣いていました。先生はいつも、50cmの長い定規で、机やお尻を叩くのです。先生は、「また、さかえだ」と決めつけたように、怒りを私に向けましたが、文ちゃんは正直に「私が落とした」と、泣きながら謝りました。先生の顔は真っ赤で、私の父より鬼に見えました。とっさに私は、「治せます」と言いました。先生は、「治してみなさい」と、私を睨みました。文ちゃんは、「さかえちゃんが治せるはずがない」と言って、更に泣きました。私は、給食室へ行って、ご飯を貰ってきました。教室で、少しずつ水を入れて、鉛筆の後ろで潰していきました。少し鉛筆の芯で黒くなったけど、もともと綺麗な箱ではなかったから、丁度良かったのです。「ご飯を溶かせば糊になる」と言ったおばあちゃんの顔が、私の頭に浮かんでいました。「大人になる前に役立つなんて・・・。絶対うまくいくはずだ」と思いました。学級のみんなが注目していました。割れた木と木に潰した糊をつけて張り合わせ、陽の当たる窓側に置きました。大成功でした。翌日にはがっちり固まり、元の蓋に戻りました。ご飯が糊になるということを、みんなが知りました。私は、学校帰りに(もしかしたら、途中で帰ったかも)文ちゃんのおばあちゃんに、この出来事を興奮して話し、お礼を言いました。おばあちゃんは、「よく分からんが、ぼた餅食べなさい」と、ご馳走してくれました。子どもの頃の話をすれば、きりがありません。このようにして私は、家族以外の人々に、いろいろなことを教えてもらいました。
幼稚園には、廊下に「研究所」があります。去年、さんざん「森ごっこ」を楽しんだ白樺の木の枝や幹が積んであります。誰か彼かが、研究所で研究をしています。子どもの作りたいものを、私が一緒に作ります。電動ドリル、ノコギリ、ペンチ、ノミ、カンナ、針、糸など、本物を使っているところを見たり、一緒にやってみたりしながら、作り上げていきます。クワガタムシなどの昆虫作りに燃えた子、クリスマスの頃にクリスマスツリーを作った子、恐竜図鑑を見て恐竜を作った子もいました。自分で木を選び、イメージを膨らませる楽しさを知っていきました。宝石付きの指輪や、布の洋服を着た人形を作った子もいました。自分のタイミングで作りに来る子もいれば、作っている友だちの様子をじっくり観察している子もいます。先日、マンモスゾウを作った子がいました。マンモスの牙は下から上に向かって生えています。しかし、そんなに曲がった枝は見つかりません。二人でほとほと考え込んでしまいました。私はその時、子どもの頃、日裏さんのおじさんから教えてもらったやり方を思い出しました。私はこう言いました。「細い枝は簡単に折れるけど、細い枝を牙の太さまで束にしてごらん。そして、細い針金をしっかり巻き付けてごらん。それから、ゆっくり曲げてごらん。折れずに曲がるんだよ」と。そして、私が言われた時と同様、「このやり方を、大人になるまで覚えておきなさい」と付け加えました。立派な牙ができました。感動でした。立派なマンモスを、大切に抱きかかえて家に帰っていきました。
翌日、マンモスを作った子が、瞳をキラキラさせながら、「あのね、お父さんが、『すごい!』って言っていたよ。でも、牙のことは、言ってないんだ。秘密のやり方だからね」と、嬉しそうに言いに来てくれました。知らないことを知った喜び、できそうもないことができたという喜びが、心を強くしてくれるということを、私は子どもの頃の経験から、身をもって知っています。
その夜、私はベッドの中で、子どもの頃に出会った大人たちのことを思い出していました。今の時代、子どもたちの自由環境はかなり狭まってきています。私が、子どもの頃に、いろいろなことを大人たちから教えてもらったように、子どもの興味のある遊びの中で「知恵」を知らせ、その楽しさに気づかせながら、「本当に分かる」という経験を味わってもらいたいと思うのです。私が、あの頃のおばさんやおじさん、おじいちゃんおばあちゃんのような「役回り」を果たせたならと願うのです。
教師たちにも、同じようなことが言えます。私の「遊びの知恵」を、教師たちにも伝えていきたいと願っています。私は、教師一人ひとりが掛け替えのない大切な仲間であり、教師集団は運命共同体だとも思っています。残り少ない学年末を有意義な時間にしようと、教師みんなが燃えています。子どもたちに、最後の一日まで、大切に過ごさせたいという願いからです。どうぞ、保護者の皆さま、子どもたちはもちろんのこと、教師たちにも、最後まで応援よろしくお願いします。

*3月の予定*
1日 ゆり組学級懇談会
2日 わくわく組学級懇談会
3日 お別れ会
4日 誕生日会
8日 たんぽぽ組、つぼみ組学級懇談会
17日 第68回卒園式
19日 修了式

*4月の予定*
5日 始業式
7日 入園式